日高屋の歴史

HISTORY

日高屋の歴史についてABOUT HISTORY

日高産業株式会社は、高橋為三郎(1853年~1922年)が東京日本橋新薪町10番地にて、内外敷物を取り扱う「段通敷物商」として日高屋商店を創業したことが始まりである。

創業は1894年とされるが、東京商工営業録(抄)1900年(明治33年)に521.80銭の営業税の納税記録が掲載されているので、創業はその頃としている。

1915年(大正4年)に玉木武兵衛は東京市日本橋区瀬戸物町15番地に荒物雑貨商として屋号
を継承する。《日本各種営業者姓名録より》

会社沿革COMPANY HISTORY

創業は現在の本社所在地(第一日高ビル)に昭和40年04月、日高産業株式会社に組織変更と同時期に不動産賃貸業として合資会社日高屋商店を存続。
平成26年12月、合資会社日高屋商店を組織変更して株式会社日高屋商店を設立。

昭和23年05月合資会社日高屋商店設立
昭和34年01月第一日高ビル完成 東京都中央区日本橋本町1-5-3
昭和46年04月第三日高ビル完成 東京都中央区日本橋室町1-13-11
昭和49年07月第二日高ビル完成 東京都中央区日本橋茅場町3-13-6
昭和59年04月テラス松戸完成 千葉県松戸市西馬橋3-5-1
平成01年04月テラス駒沢完成 東京都世田谷区弦巻2-14-12
平成03年04月第四日高ビル 東京都中央区日本橋室町1-13-10

社会の安全に貢献CONTRIBUTING TO SOCIAL SAFETY

伊豆修善寺の奥の院(桂大師)は、791年(延歴10年)に弘法大使が修行をしたという場所である。
その弘法大使が作ったとされる「いろは歌」にちなんで、「いろは歌」47文字に「ん」をくわえた48文字を刻んだ石碑「いろは石」が、伊豆修善寺の山門から湯舟の奥の院までの5kmの間に建てられている。

この石碑は明治39年(1906年)、日高屋が修善寺に寄進したものである。建てられた当時は僧侶や信者たちの道しるべとして大変喜ばれたという。

現在は修善寺の桜の名所とともに修禅寺山門から奥の院まで道順に従って分かりやすく設置されているので探しながら歩くのも楽しい。
毎年、「春の静寂」「秋の静寂」と題したウォーキングイベントが催しされている。

伊豆市観光協会修禅寺支部資料より